動物たちは、天のポイントを数えない

お仏壇に、誰も帰ってきていませんでした。

昨日、
直感回復アニマルコミュニケーション体験会を終えて、
自宅へ帰りました。

自宅には、
夫の両親をお祀りしているお仏壇があります。

お盆ですから、
おじいちゃんとおばあちゃんに
手を合わせたのですが…。

誰も帰ってきていないんですよね。

少なくとも、
わたしには二人の気配が感じられません。

これまで年忌法要をしても、
このお仏壇に二人が帰ってきていると感じたことは、
一度もありませんでした。

「では、二人はどこへ帰っているのだろう?」

そう意識を向けてみると、
やはり二人が長く暮らした、
慣れ親しんだ土地へ帰っているように感じるのです。

人の魂も、土地につくのでしょうか…

よく、「引っ越した部屋に、先住人の幽霊が出る」
という話がありますが、
魂には、その場所への愛着や、
そこで過ごした記憶が残るのかもしれませんね。

なんだか、「家につく」といわれる
猫さんたちのようです。

わたしは、猫という生き物には、
どこか霊的な要素が大きいと感じています。

人の魂と猫さん。

案外、そんなところに
共通点があるのかもしれないな、
と思いました。

亡くなった魂が帰る場所に想いを向けていたら、
今を生きているわたし自身は、
これからどこへ向かっていきたいのだろう。

そんな問いが、ふと心に浮かびました。

そして今朝、
宇宙から降りてきたような、
わたしの内側から湧き上がってきたような、
ひとつの言葉がありました。

「利他の心で生きる」

わたしも58歳になり、
間もなく還暦を迎えます。

人生の後半戦です。

もし、あなたも同じような年代でしたら、
これからは誰かのお役に立つために、
自分の人生を紡いでいく。

そんな生き方も、
ステキなのではないでしょうか…。

これまで、自分を守るために
「怖れ」を選んできた人もいるかもしれません。

傷つかないように。

失敗しないように。

損をしないように。

嫌われないように。

怖れもまた、
これまでのわたしたちを
守ってくれた大切な感情です。

だから、
怖れを選んできた自分を
責める必要はありません。

けれど、人生の後半からは、
これまで自分を守ってくれた怖れに感謝して、
少しずつ役目を終えてもらってもいい。

そして今度は、
誰かの喜びに貢献するために
「愛」を選んでいく。

そんな生き方があってもいいと思うのです。

以前のお話会で、
「人生はポイ活です」
と、お話ししました。

善い行いをすれば、天にポイントが貯まる。

人生の後半を利他の心で過ごしたら、
そのポイントも、きっと2倍、3倍になるかもしれない。

そんなふうに考えると、少し楽しくなります。

けれど、今のわたしには、
「ポイントを貯めるために善い行いをする」
ということにも、少し違和感があります。

それは、条件つきだからです。

善いことをすれば、
いつか自分にも善いことが返ってくる。

天からご褒美をもらえる。

そう考えているのなら、
そこにはまだ、見返りを求める心があります。

わたしは、動物たちのように生きたい。

愛したから、愛してほしいのではなく。

尽くしたから、感謝してほしいのでもなく。

何の見返りも求めず、
ただ正直に、真っ当に、
自分のいのちを生き切りたい。

今は、そう思っています。

けれど、いきなりそこを目指すのは、
敷居が高いと感じる方も多いでしょう。

だから最初は、
人間らしく見返りを求めてもいいと思うのです。

喜ばれたい。

認められたい。

善いことが返ってきてほしい。

天のポイントを貯めたい。

それがきっかけであっても、
誰かのために行動できるのであれば、
まずはそこからでいい。

見返りを求める自分を、
未熟だと責める必要はありません。

善い行いを重ねていくうちに、
少しずつ気づいていくからです。

誰かに喜んでいただけること自体が、
すでに自分の喜びになっている。

誰かの心に光が灯った瞬間、
自分の内側にも光が灯っている。

与えたものは、いつか外側から
返ってくるのではなく、

与えたその瞬間に、
すでに自分の魂を満たしていたのだ、と。

そうしていつの間にか、
天のポイントを数えることさえ、
忘れてしまうのかもしれません。

入口は、人間らしい見返りでもいい。

そこから少しずつ、
動物たちが見せてくれる無条件の愛へ
近づいていけばいいのだと思います。

わたしが、誰かのお役に立つ喜びを知ったのは、
アニマルコミュニケーターになって間もない頃でした。

アニマルコミュニケーションを通して、
他人様に喜んでいただけた。

その体験をしたとき、
わたしは天に宣言しました。

「これから先の人生を、
すべて天に捧げます」

「神さまがお使いになりたいように、
わたしを使ってください」

すると、
本当にそのような人生が始まりました。

とはいえ、この十数年間、
清らかな心だけで歩いてこられたわけではありません。

自我がムクムクと顔を出し、
妙に人と競いたくなったり、
誰かを批判したくなったり、
思いどおりにならないことに腹を立てたり……。

自分の中にあるエゴを、
これでもかというほど見せられてきました。

「わたしの心は、こんなにも汚れているのか…」

「どうしたら、この汚れを落とせるのだろう」

「いっそ仏門にでも入って
霊磨きだけをしていたい」

「もう人間界から離れたい」

そんな心境になったことも、
一度や二度ではありません。

毎朝、神棚に奏上していますよ
「諸々の禍事罪穢有らむをば祓へ給ひ清め給へ・・・」
と。

それでも、
天に人生を捧げるなどと
偉そうなことを言いながら、
わたしは自分に嘘をついているのではないか。

そうやって、
自分を責めたことも何度もありました。

けれど、アニマルコミュニケーターになって、
早い段階で気づいたことがあります。

本当に向き合う相手は、
外側の誰かではない。

自分自身のエゴなのだということです。

外側には、もともと敵などいませんでした。

自分の怖れや思い込みが、
頭の中に「敵」をつくり、
その敵に、自分で苦しめられていたのです。

「なんてこった…」

自分で自分に、呆れました。

そんなことを繰り返しながら、
同じ場所をグルグル巡っているように見えて、
実は少しずつ、螺旋を上がるように
成長してきたのだと思います。

そして今も、変わらないものがあります。

それは、最初に天へ人生を捧げると
宣言したときの気持ちです。

利他の心で生きたい。

その想いだけは、
今も変わっていません。

ただし、利他とは、
自分を犠牲にすることではありません。

自分をすり減らし、我慢して、
誰かに尽くすことでもありません。

まず、自分を満たす。

そして、自分の内側から溢れた愛を、
どこかの誰かへ分かち合っていく。

それが、愛の循環なのだと思います。

震災が起きたとき、
自分に出せる範囲で寄付をするように、
最初から大きなことをする必要はありません。

今の自分にできる範囲で、
目の前の動物や人に、
小さな愛を手渡していけばいいのです。

アニマルコミュニケーションを通して、
誰かのお役に立つことも同じです。

目の前の一頭の声に耳を澄ませる。

そのコの想いを、飼い主さんへ丁寧に届ける。

それだけで、動物と人の間にあった誤解がほどけ、
愛がもう一度流れ始めることがあります。

その小さな貢献が巡り始めると、
自分自身の器も少しずつ育ち、
やがて、分かち合える愛の量も増えていきます。

動物たちの喜びを感じることは、
わたしたち自身を満たしてくれます。

そして、満たされた愛が、
また誰かへと流れていきます。

愛する。

喜ばれる。

満たされる。

そして、また分かち合いたくなる。

そんな美しい循環が、
静かに始まります。

直感回復アニマルコミュニケーション体験会が、
皆さんにとって、

「自分を守るために怖れを選ぶ生き方」から、

「誰かの喜びのために愛を選ぶ生き方」へと歩き出す、

ひとつのきっかけになったら嬉しいです。

現在ご案内している体験会は、
いったん今回までとなりますが、
今月末に、あらためて開催しようと思っています。

これまでには、
3回も参加してくださった方もいらっしゃいます。

2度目でも、3度目でも、大歓迎です。

集まる方によって、
お話しする内容も少しずつ変わります。

瞑想誘導も、
その場のエネルギーによって変化します。

納得するまで。

腑に落ちるまで。

何度でも、その扉を開きにいらしてください。

そのときのあなたに必要な扉は、
そのときにしか開かないこともありますから。

今月末の体験会については、
準備が整い次第、順次ご案内します。

その扉の向こうで待っているのは、
ペットの声だけではありません。

怖れの奥に隠れていた、
あなた自身の愛かもしれませんよ。

過去記事も読めます