「体は、神様から借りた「レンタカー」
とても分かりやすかったです」
先月末のお話し会、
ご参加くださった皆さまから
オープンチャットなどを通して
たくさんのご感想をいただきました。
ありがとうございました。
そして
お話し会のあと、何人もの方が
こんなことを教えてくださいました。
「前は、仕事を休めなかった」
「無理をしてでも働いていた」
「解熱剤を飲んで、何もない顔をして
平気なふりをして、仕事をしていた」
聞いていて
胸の奥が、きゅっとなりました。
日本人の勤勉さ。
それは確かに
誇らしい一面でもありますが、
どこか偏りを感じてしまうのは
わたしだけでしょうか?
そこまでして
体を酷使しなければならない。
「絶対に休めない」
「代わりがいないから辞められない」
この言葉を
わたしは、何度耳にしてきたでしょう。
でも、それって、
本当に真実でしょうか?
実は
うちの認定者さんたちの多くは、
元のお仕事を
すでに辞めています。
働き方を
大きく変えています。
考え方が変わり
物の捉え方が変わり
世界の見え方そのものが
変わってしまったから。
見方が変わると
生き方は
驚くほど変わります。
そんなお話を聞きながら
ふと、思い出した出来事がありました。
わたしが
アニマルコミュニケーションの講師を始めて
まだ数年だった頃のことです。
インフルエンザにかかり、
二日後には
大きな講座が控えていました。
遠方から
飛行機や宿泊を伴って
来てくださる方もいました。
予定通り開催したい。
でも
どう考えても
外に出られる状態ではない。
ギリギリまで迷いましたが
参加者さんのご都合を考えると
早く決断する必要があり、
キャンセルを決めました。
そのとき言われた一言が
今でも忘れられません。
「そんな仕事をしていながら
体調不良で講座に穴を開けるなんて
自己管理ができていない」
確かに、正論でした。
ぐさり、と
胸に刺さりました。
でもね、
スピリチュアルや心理学、
体のケアを伝えている人は、
病気になってはいけないのでしょうか?
不意の出来事や
体調不良が起きること自体、
ダメなのでしょうか?
あまりにも刺さって
わたしは
ひどく自分を責めました。
けれど
あとから気づいたのです。
自分で自分を
大切にしていなかったこと。
いつの間にか
自己犠牲が
当たり前になっていたこと。
それは
人生の中ですっかり癖になり、
無意識に行動化していたのだと。
人からの言葉に
すぐ揺さぶられ
すぐ自分を責めてしまう。
そんな状態だったからこそ、
その人の口を借りて
わたしは自分自身の声を
聞いたのだと思いました。
そして
潜在意識の奥にあった
無価値感が、その言葉に
反応したのだと。
休みたいのに
休めない。
そんなとき、
休むための大義名分が
病気。
これも
潜在意識の働きなので、
気づかない人は、とても多いです。
病気にならないと
休めない社会。
どこか
おかしいですよね。
仕事をしたくないときもある。
休みたいときもある。
そんなときは、
そのまま休めばいいのでは?
わざわざ
病気を理由にしなくても
いいはずです。
誰だって、休息を取って
エネルギーチャージしたいときもあります。
それを
もっと自由に選べたらいいですよね。
犠牲的に働く人たちを目にすると、
「お願いだから休んで」と
心から思います。
一方で
わたしは今、とても働きたい。
働くことが、犠牲や義務ではなく、
社会への貢献だと感じているから。
働きたくても
許されなかった専業主婦時代を
経験してきたから
そう思うのかもしれません。
一人でも、一匹でも
笑顔になってもらいたい。
静かな幸福感の中で
日々を過ごしてもらいたい。
そのために
わたしができることを
分かち合う。
それが
わたしの仕事です。
だから、今は
たくさん働きたいと
思っています。
そして
たくさん税金が払えたら
うれしいです。
それによって
休める人が増えるなら、
それも支え合いの一つだと思うから。
充分に休んだら
また働きたくなるよ。
人は、そもそも
誰かに貢献したい生き物だから。
互いが支え合える優しい社会に
少しずつ近づいていけたら。
そう願っています。
あなたの体と心が
今日も、お健やかでありますように。
新年を迎えるにあたり
節分の今日、
こんなことを想いました。
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