看取れなかったわたしに小雪が残したもの

もう息をしていないはずの小雪の胸が、
動いていたのです。

今日は20日。

愛犬・小雪と、実母の月命日です。

お参りに行ったお寺の樹々も、
少しずつ秋色に染まり始めていました。

小雪がお空へ還って、もう6年。

そんなに経った気がしないんですよね。

この6年に起きた出来事を
ひとつひとつたどれば、
確かにそれだけの時間が流れたのだと
納得できるのだけれど。

お別れ前後の出来事は、
今も昨日のことのように鮮明です。

わたしは、小雪が毛皮を脱ぐ瞬間に
立ち会うことができませんでした。

残念な気持ちが半分。

小雪の選択を尊重したい気持ちが半分。

これが正直なところです。

「最期は絶対に、わたしの腕の中で」
そう願う飼い主さんは、
きっと少なくないと思います。

でも、わたしはそこまで
こだわっていませんでした。

そうなればうれしい。

でも、そうでなくてもいい。

飼い主としては、
ちょっと冷たいのかもしれませんね。

でも、最後の最期まで
小雪の人生は、小雪のもの。

わたしの望むラストシーンを叶えるために、
小雪の選択を変えたくなかったのです。

とはいえ、やっぱり気になる。

「こゆちゃん、なんで
ひとりの時を選んだの?」

そう問いかけたとき、
わたしが受け取った答えは、

「だって、御不浄は見せないものでしょう?」

御不浄???

なんとも古風というか、
雅なお言葉だこと。

どうやら小雪にとって、
毛皮を脱ぐのは「お着替え」。

着替えている姿を人に見せるなんて
はしたない、ということらしい。

ああ、そういうことか…

独立心が強くて、
ちょっぴり気位も高かった小雪らしい。

そう思うと、
不思議と気持ちが落ち着きました。

そして、目の前の小雪に
改めて目を向けた、その時です。

えっ……!?

胸のあたりが、動いてる?

まるで、静かに呼吸をしているみたいに。

目を凝らして見ても、
やっぱり動いている。

思わず身体に触れてみました。

でも、もう冷たくて、
カチコチに固まっていました。

それなのに、
わたしには、小雪が息をしているように見えたのです。

まるで、
お別れの場面をもう一度
見せてくれているかのようでした。

小雪からの、
最後のプレゼントだったのかな。

腕の中で看取りたいと
強く望んではいなかったけれど、
寂しさがなかったわけじゃありません。

その気持ちまで、
小雪にはお見通しだったのかしら。

小雪は、いわゆる
「忠実で甘えん坊なワンちゃん」
というタイプではありませんでした。

特に晩年は、ひょうひょうとしていて。
あざといところもあって、
まさに、ザ・ジョシ!

嘘をつけるほど賢い小雪に、
コロッと騙される飼い主でした。

そんな小雪が最期に見せてくれたものを、
わたしは、無償の愛だと受け取りました。

動物たちは、わたしたち人間よりも
ずっと速い時間の流れの中を生きています。

「いつか、一緒に旅行に行こう」

「また今度、ゆっくり遊ぼう」

「あとで、いっぱい撫でてあげよう」

その「あとで」は、
いつまでも待っていてくれるわけじゃない。

だからといって、
毎日を特別なイベントで
埋め尽くす必要はありません。

隣で眠る寝息。

ごはんを待つ真剣な顔。

名前を呼んだ時の、あの表情。

そんな何気ない日常の中にこそ、
幸せがたっぷり詰まっているんですよね。

濃厚な幸せだけじゃなくて、
薄口の幸せも、じっくり味わう。

今日、わがコがそばにいる方は、
どうぞそのぬくもりを。

今はお空にいる方は、
一緒に過ごした日々のぬくもりを。

それぞれの形で、
大切に味わってくださいね。

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