Vol.1145でお届けした
「味わう」と内側で唱えて歩いたら、
混雑した駅で道がすーっと開いた。
あの不思議な現象のお話を覚えていますか?
そのメルマガに、ある読者さんから、
心に染み入るようなお便りが届きました。
シェアをいたしますね
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りかさん
ハピらぼ通信を読んで
オプチャも読んで
とても話したくなりました。
私は 療養病院の透析科で介護士をしています。
食べることが好きであろう透析患者さん
高齢女性のOさんは 嚥下が思わしくないながらに
食べることには意欲がありました。
喋れません、頷けません、意思表示は目です。
YESなら瞬きをする、という状況。
身体は右麻痺、 寝たきりで動けません。
嚥下機能の低下でも、それでも全部食べたい欲がある。
時間をかけて ゆっくり飲み込んでいく。
そのOさんが、10日程前に発熱し、
食べられなくなりました。
少しの水分でもむせてしまい、
ご飯も薬もゼリーも飲めない。
とうとう鼻から経管栄養を流すことになりました。
鼻にチューブが入れられた後
覇気のないお顔になり、食べることができなくなり
ご本人のショックな様子が見て取れました。
経管栄養になってから2日程すると
固まっていた右腕の拘縮が取れていました。
スタッフは皆さん驚き、もうすぐ命が尽きるのだなと
感じています。
私も、もうすぐ、というのは同様に思うのですが
他スタッフとは少し違う視点でいます。
Oさんは 口から食べれなくなったことが
ショックであった、その後、身体に変化があった、
拘縮していた箇所が 【柔らかく】なった。
これは… 私は、Oさんは口から食べられなくなったことを
【受け入れた】ということからの現象ではないか?と思うのです。
身体の柔らかさは、心の柔らかさと繋がっている。
死後なら時間の経過であるようですが
リハビリ等のアプローチもなく
拘縮が自然に【取れる】というのは不思議な現象です。
そして、以前同様 話しかけると、瞬きでお話してくれます。
それに加えて、ゼロゼロと痰で喉を鳴らしながら
何か喋ろうとしている様子も見られます。
(以前は 喋ろうとする様子はありませんでした)
私なりの 筋肉反射で訊いてみると
Oさんは、食べることへの執着を手放した、
しがらみに囚われなくなった、という内容でYES反応が出ます。
食べられない = 死 ではありますが
鼻から経管栄養を流す限り、物理的な栄養は取るので
後ろの長さは、ご本人の精神力や生命力に
影響されると思います。
Oさんには、その現況を受け入れている様子があり
それが 身体現象にも現れていて
それは まさしく
ハピらぼ通信にあった【今を味わっている】
ということと同じだなぁ、と思いました。
【味わう】
現況を味わう。覚悟する。受け入れる。流れに乗る。
染み渡る。その周囲の人(この話でいう私の様な立場の人)
にも影響がある。
そう 思いました。
毎日OさんにYESNOで応答できる声掛けをしています。
そして、その会話が、私は楽しみです。
=====
以上、あやさんからのご感想でした。
現場での体験を、このように深く丁寧に
綴ってくださったことに、
ただただ、心から感謝をいたします。
そしてこのお便りは、まさに
Vol.1145でお伝えしたテーマの
答えそのものだと感じています。
「味わう」ということは、
決して、楽しいことを味わうだけではないのだと。
叶わなくなること。
失っていくこと。
抗えない現実。
どうにもならない変化。
その一つひとつ
今のありのままを受け容れていく。
ぶつかるのでもなく、
諦めるのでもなく、
ただ「そうなんだね」と認める。
その静かな肯定こそが
身体に、心に、深く作用していく。
それは、駅で道が、突然、すーっと開けた
あの話とも、同じ原理なんですよね。
心が抵抗をやめたとき、
世界の流れが自然と整う。
私たちはつい、
過去を悔み、未来に怯え、
今に触れることを忘れてしまう。
わたし自身もそうです。
いつも少し先の未来を見ては、
不足がないか、危険がないか、
心のどこかでチェックしてしまう。
でも、Oさんの「受け容れ」が教えてくれたのは、
「今」という点に、
こんなにも深い宇宙があるのだということ。
味わうとは、生きることそのもの。
抗わず、流されず、
ただ静かに、深く、
この一瞬の息づかいを受け止めること。
そして、それができたとき
世界はふしぎと、やわらかくなる。
Oさんの腕がほぐれたように、
駅の人混みが割れたように、
私たちの人生も、静かにほぐれはじめる。
あなたが今日、どこかで、
ほんの一瞬でも
自分の身体の温度、
息の深さ、
視線の先にある小さな光
その、ただそこにあるものを、
そっと味わえますように・・・
今日もあなたの歩みを、
心から応援しています。
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