世の中の闇に、気づいてしまった人へ

光が強くなると、
見たくなかったものまで照らし出される

毎月上旬に、熱田神宮で
ご祈祷を受けています。

今日は、本殿に誰も人がおられず、
熱田さんの中で、わたしが一番好きな場所、
「こころの小径」にある一之御前神社も
静寂に包まれていました。

こころの小径でも、
誰ともすれ違いませんでした。

まるで、神さまと一対一で
お話をさせていただいているような、
とても静かで神聖な時間でした。

そして、境内を出たころに
小雨が降り始めました。

なんだかすべてが終わるまで、
雨が待ってくれていたように感じました。

昨夜は、クローズドで開催している
お話会がありました。

ご参加くださった皆さま、
ありがとうございました。

今回は、いつもとは少し趣向が違い、

「本当に、この世の闇が
イヤになっちゃうよね……」

そんな内容のお話でした。

なぜ人は、奪おうとするのだろう…

なぜ、愛を与え合う循環へ
移行できないのだろう…

そんなことを考えました。

けれど、これもまた
人類が進化していくための
プロセスなのだとも思います。

人は、一つひとつ階段を昇っていきます。

途中のステップを飛ばしてしまうと、
またそこへ戻って
学び直さなければなりません。

だから、どの段階も
きっと必要なのでしょう。

ただ、その先が見えている人や
すでに次の世界の在り方を
知っている人にとっては、

今のプロセスが、とてももどかしく
感じられることがあります。

「どうして人って、
こんなに傲慢で浅はかなんだろう」

そんな義憤にも似た思いが
湧いてくることもあるでしょう。

でも、その怒り奥にはきっと、

「もっと優しい世界をつくりたい」

「誰もが幸せに生きられる
世界であってほしい」

という、切なる願いがあるのでしょうね。

光の時代になり、
これまで以上に光が強くなりました。

光が強くなれば、
薄暗い中では見えなかったものが
はっきりと照らし出されます。

闇は、突然生まれたのではありません。

もともとそこにあったものが、
光によって炙り出されているだけ。

日本では、芸能界のアノ事件を境に、
これまで隠されてきたものが
次々と表に現れ始めたように感じます。

そして、それは
世の中だけに起きることではありません。

私たち一人ひとりの内側にある闇も、
浮上しやすくなっています。

見たくなかった自分。

認めたくなかった感情。

ずっと蓋をしてきた痛み。

それらが出てきたとき、

「こんなのイヤ!」と拒絶するのか、

「これは、私が変わるチャンスかもしれない」と
受け容れるのか、

ここが、大きな分かれ道です。

多くの人は、変化を避けようとします。

人間の脳は、幸せになることよりも
今までと同じでいることを
安全だと判断しやすいからです。

だから、変わる方法を知っていても、
元の自分へ戻ろうとすることがあります。

それが、人間というものなのですよね。

けれど、同じ考え方の人だけで集まっていると、
その世界の常識が
唯一の正解のように思えてきます。

だからこそ、ときどき立ち止まり、
自分の見ている世界を
少し高い場所から
眺めてみることが大切です。

皆さんにも考えてみてほしいことがあります。

あなたが利用しているシステムや仕組み。

使っているもの。

食べているもの。

身につけているもの。

毎日の暮らしを支えてくれているもの。

それらは本当に、
世のため、人のために
生み出されたものでしょうか…?

一見すると、
みんなの幸せのためにつくられた
ルールやシステムに見えても、

その始まりをたどっていくと、
実は一部の人の利益のために
構築されていることもあります。

だからといって、
何もかもを疑って生きる必要はありません。

ただ、自分の目で見て、
自分の心で感じて、
自分の意思で選ぶ。

誰かから奪うことで成り立つものではなく、
関わる人たちが満たされ、
愛と豊かさが循環していくものを
選んでいきたいと思うのです。

そして、わたし自身も
提供する側の一人として、

自らの「我」を差し挟まず、
目の前の方の幸せと
この世界の調和につながる仕事を、

真摯に、誠実に、
続けていくと改めて誓いました。

世の中のすべてを、
一人で変えることはできません。

けれど、自分が何を選び、
どんな意識でお金を使い、
何を世の中へ送り出すのかは選べます。

一人ひとりの選択は、
小さな一票のようなもの。

その一票が重なって、
やがて世界の流れを変えていくのだと思います。

闇を見つけたときこそ、
自分の中の光を選ぶ。

奪う循環ではなく、
与え合い、満たし合う循環を選ぶ。

それが、私たちにもできる
力強い革命なのかもしれませんね。

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