この世に肉体を授かった日に想うこと

今日は、56回目の誕生日。

この地上において、

身体は確実に年齢を重ねますので、

肉体年齢は56。

だけれど、

精神年齢はいつまで経っても

お子ちゃまなままなところもありまして、

毎年、28歳と年齢詐称を貫いております。

これも、厳しい目で見れば、

前回のメルマガで書いた

アダルトチルドレンの名残り

なのかもしれないです。

歳ばかりくっていて

精神性が成長しないってやつですね。

わたしの一生を振り返っても

40歳過ぎまでは、とにかく

生きづらいばかりでした。

タガが外れたように

一気に楽チンになった人生後半を

楽しんでいる過程におります。

40歳過ぎてから、

ようやく自分の生き方を

真剣に考えるようになり、

たくさん勉強も実践もして

今に至ります。

40歳過ぎで迎えた転換点、

何が、そんなに黒を白に変えたかって、

やっぱり、自分の考え方、

ものの見方が

大きく変わったことです。

これは、つい先日、

セルフラブメソッド復習会で

参加してくれた皆んなにも

話したことなのですが

黒を白に変える第一歩は、

すべては自分次第

という考え方です。

誰かのせいで、うまくいかない

ずっとこうして、

自分の人生の舵を

誰かに渡していました。

親のせいで、

わたしは、こうなっちゃった・・・

不幸なのは、

いつも誰かのせいです。

親のせい

夫のせい

子供のせい

自分の性格のせい

生まれた家のせい

女の子に生まれたせい

こんな地方に住んでるせい

こんな虚弱体質のせい

いつもいつも、

頭の中の独り言は

不平、不満、愚痴。

ありがたいなんて思えることは、

一つもありませんでした。

いつも、足りないこと、

ないものに目を向けて、

不平、不満、愚痴…

だから、現実はそのように

創造されているだけなのに、

まさか、自分の想像が、

現実を創造するなんてね。

そんな仕組みは、

ちっとも知りませんでした。

自分がいかに無知であるか、

いかに傲慢であるか、

思い知りました。

きっとそれまでは、

プライドという自我が邪魔をして

ありのままの自分を

見ることも、

認めることも、

受け容れることも

まったくできなかったのですよね。

『ありのままの自分で生きる』

一時、流行り言葉のように

世の中に広がりましたが、

ほんとに、

ありのままの自分で生きている人って

どれほどいるのでしょう?

常にありのままを受け容れているか?

この問いに、わたしは100%イエス!

とは答えられないです。

自分の心のあり方、

魂のくせなどは、

ずいぶんと受容出来てきている

とは思いますが、

身体については、毎日、

この問いに直面しています。

人生前半より、

今の方が、断然、

健康であると自負しています。

けれどね、やはり、お年ごろを

逆行することはできません。

自分の身体について、

不平、不満、愚痴を

知らず知らずのうちに

口にしていることもあります。

そして、あぁ、しまった…

って、思うのです。

お口が汚れちゃった…

いまだに、こんなです。

でもね、まるで今日の誕生日に

神さまからメッセージを

いただいたかのように、

お二人の方から、同様のことを

言われました。

「どうして、その身体を治そうとするの?」

「生まれつき、その身体なんだから、

体操しようが、何しようが、変わらんよ!」

お二人とは、

代替医療に精通する

歯医者さんとお医者さん。

そうなんです。

この虚弱体質を変えようとすること、

これすなわち、

受容できていないということ。

神さまから、今世のシナリオを生きるのに、

ちょうどいい身体が

配給されているに違いない。

そう信じているのに、

心底受け容れられていない自分に

気づきました。

この身体でも56年も

長持ちしているワケですからね。

そして、今が、一番

健康だと実感出来ているワケですしね。

エコドライブするように

心がければよいワケです。

今日は、神さまにも、

最善を与えていただけたことに

感謝をお伝えしました。