大人を小バカにする1歳児だった

わたしの今世のテーマは

『癒やし』

なんだろうと思う。

どうやら、わたしは赤ん坊のころから

「理解されない」

という悩みを抱えていたようだ。

母乳を飲まない。

夜泣きする。

母親にとっては、

手のかかる乳児だった。

そもそも、普通分娩では

産まれず、帝王切開によって

この世に生を受けた。

それも、仮死状態だったらしい。

産道を通っていない子どもは、

体が弱い、だの、

ちょっと変わった感性がある、だの、

色々と言われているようだけれど、

まぁ、わたしも、その類なんだとは思う。

ヨチヨチ歩き、

片言を話せるようになった頃の記憶が、

わたしには鮮明にある。

当時、天皇陛下と言えば、

現在より、もっと崇高な存在として

国民にあがめられていたように

感じるけれど、どうだろうか。

そんな昭和40年代半ば、

「天皇は神」と、

我が家の大人たちは、

ありがたがっていた。

昭和の家具調テレビに

つかまり立ちをしているシーンの記憶。

天皇陛下(当時は昭和天皇)のお姿を

テレビ画面に発見した大人たちが、

しきりに、幼いわたしに問いかける。

「これ、だ~れ??」

わたしは、ニコニコして

答える。

「テ、ン、ノ、へ、カ」

「天皇陛下」と頭の中で

話しているのに、

口という器官を経ると、

「テ、ン、ノ、へ、カ」

と、単音が連なるのが

もどかしい・・・。

そんなこちらの気分は、

まったく無視して、

大人たちは、手を叩いて喜んだ!

「そう!そう!天皇陛下!!!

てんの~へ~~か~~!!!」

天皇陛下という人物を

区別し、回答できたことを

賞賛されたのか、

はたまた、

「テ、ン、ノ、へ、カ」

と、たどたどしくも、

言葉を発したことが

喜ばれたのか、

いまだにわからない。

だけれど、

このシーンは、大人になってから

退行催眠によって、

記憶を取り戻したというものではなく、

はっきりと、わたしの自覚がある

記憶倉庫に存在するシーンであることは、

間違いない。

そして、もう一つ、

ハッキリと記憶があるのが、

「テ、ン、ノ、へ、カ」

と答える子どもに対し、

手を叩いて喜ぶ、大人たちを

顔はニコニコしながらも、

心は至極冷静で、

「バカな奴ら」

と、さげすんでみていたこと。

短音を連ねることしかできない

体の機能とはかけ離れて、

脳内では、こんな言葉を

呟いていた。

「こんな分かり切ったことを

なぜ、わざわざ問うんだ!?

こんな簡単なことに答えてやるだけで、

どうして、こんなに喜ぶんだ!?

バカじゃないか…??」

なにをしてやると、

大人が喜ぶのか、

すでに知っていた。

完全に大人をナメ切った1歳児を

育てるのは、たやすいことでは

なかったろうと察するけれど、

だからと言って、

身体機能的には抵抗できない1歳児に

感情に任せて、手を挙げることは

いかがなものかと、いまだに思う。

けれど、

『罪を憎んで人を憎まず』

でもあると、ようやく

この世界に入ってから、

未熟な母親を許すことができた。

そして、

自らの子育てにおいては、

母親からやられてイヤだったことを

形態を変えて、子供にやっていたことに

気づき、愕然とした。

暴力で子をコントロールする母に対し、

わたしは、言葉と態度で、

子をコントロールしていた。

なんてことだ…

自分の心を落ち着かせたくて、

そそくさと、子供に赦しを請うた。

そこにも、

「母親のようになりたくない」

「母と同じではいけない」

なんだか、ズルい自分を

感じたけれど、

そのままでは、自分が

いたたまれなかった。

自分で自分を許すために

わたしがとった行動が、

子に謝ることだった。

結局、自らのために

子を利用しただけ…。

母が未熟なら、

自分も母親として、

未熟であったことを

認めざるを得なかった。

そんなころから、

自分を見つめる旅が

本格的に始まった。

~~長くなったので、

続きは、次号にて~~

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